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徳島地方裁判所 平成4年(ワ)420号 判決

主文

一  亡原告鎌田和雄訴訟承継人原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は亡原告鎌田和雄訴訟承継人原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告が平成元年八月三〇日付変更登記をもってした額面普通株式三万株の新株発行及び平成二年一一月八日付変更登記をもってした額面普通株式七万株の新株発行は、いずれも不存在であることを確認する。

第二  事案の概要

一  本件は、被告の株主であった亡鎌田和雄が、被告に対し、新株発行不存在の確認を求めた事案である。

二  争いのない事実

1  被告は、昭和二五年一一月二一日に、亡鎌田和雄(以下、「和雄」という。)によって設立された株式会社で、典型的な同族会社である。被告の昭和六〇年三月現在の発行済株式総数は一五万株であった(一株の金額一〇〇円)。当時の代表取締役は和雄で、鎌田彰は和雄の長男で当時取締役(平成三年一〇月二八日から代表取締役、以下、「彰」という。)、鎌田洋子は和雄の長女で当時取締役(以下、「洋子」という。)、日下ゆみ子は和雄の二女であった。

2  和雄は、右発行済株式総数のうちの八万八〇〇〇株の株主である。

3  被告は、平成元年八月一二日、一株の金額を一〇〇円とする額面普通株式三万株の新株(払込期日同月二九日)を発行し、彰が二万五〇〇〇株、その妻鎌田陽子(以下、「陽子」という。)が五〇〇〇株を引受けたとして、平成元年八月三〇日付変更登記をした。

4  被告は、平成二年九月三〇日、一株の金額を一〇〇円とする額面普通株式七万株の新株(払込期日同年一一月七日)を発行し、彰が五万株、陽子が二万株を引受けたとして、平成二年一一月八日付変更登記をした(以下、右3、4の新株発行を総称して「本件新株発行」という。)。

5  本件新株発行について、被告は取締役会を開催しておらず、その手続は、取締役の彰が行った。

三  争点

本件新株発行が不存在であるか否か

1  原告

本件新株発行は、以下の理由により、不存在というべきである。すなわち、〈1〉本件新株発行当時取締役会決議がなされた旨の議事録があるが、現実には取締役会も株主総会も開催されていないこと、〈2〉当時の代表取締役は和雄であったが、本件新株発行は平取締役にすぎない彰が陽子と共に勝手にしたものであること、〈3〉本件新株発行により、被告の発行済株式総数が一五万株から一挙に二五万株に増加したがこれは被告の会社支配の観点からみても許されないこと、〈4〉本件新株発行は、それまで和雄と彰の新株割当てを平等にしてきた慣行を全く無視し、彰とそれまで株主でなかった陽子だけが引受人となっていること、〈5〉本件新株発行は、彰夫婦が和雄と洋子の持株数(合計株数九万二五〇〇株)に対抗するためにしたものと推認されること、〈6〉被告は会社組織であるがその実体は和雄の同族会社であること、〈7〉被告の株式の時価は相当高く、和雄の遺産分割に大きな影響を及ぼすものであること、等により本件新株発行は、法的評価において不存在というべきである。

2  被告

新株発行については、取締役会の決議を要するが(商法第二八〇条ノ二、一項本文)、被告は同族会社であるから、他の同族会社の例にもれず、会社の新株発行、資金の借入その他の重要事項の決定は、時の実質的な責任者が取締役会の決議を経ずにしていた。ところで、彰は、昭和五六、七年頃から事実上被告の実権を握り、和雄から、昭和六〇年四月頃彰を代表者とするゴム印の交付を受けた時、あるいは和雄の手術前日である昭和六三年二月一五日に、被告の経営一切につき授権された。本件新株発行は、この包括的な授権に基づくものであるから有効である。

第三  判断

一  新株発行についても、その瑕疵が著しい場合、例えば、新株発行の登記がなされているが、物理的に新株発行に該当する事実が全く存在しない場合とか、物理的には存在するような外観を呈していても、その手続的、実体的瑕疵が著しいため不存在と評価される場合には、新株発行不存在として、新株発行無効の主張(商法二八〇条の一五)におけるような制限なしに、何時でも誰でもその不存在を主張することができると解すべきである。そこで、以下、本件新株発行が不存在と評価できるかどうかについて検討する。

二  まず、証拠(丙一の一二、四の四、五の一ないし四、六の一ないし四)によれば、本件新株発行は、定款で決められた発行する株式総数(六〇万株)の範囲内で行われ、一応取締役会議事録に定められた発行する新株の数、種類、発行価額、割当方法に従い、彰及び陽子が引受人となり、払込期日に払込金が指定の銀行に支払われていること、そして、これに基づき本件変更登記がなされていることが認められるから、本件新株発行の事実が物理的に全く存在しないということはできない。

三  次に、本件新株発行が、著しい手続的、実体的瑕疵のために不存在と評価されるかどうかについて検討する。本件では一応取締役会議事録が作成されているが、被告も認めているように現実に取締役会が開催されたことはないから、この点が著しい手続的、実体的瑕疵にあたるのではないかという疑問がある。しかしながら、被告のような典型的な同族会社における新株発行について、次にみるような事情が認められる本件においては、これを著しい瑕疵とみることはできず、本体新株発行が不存在であると評価することはできないというべきである。

なぜなら、後記1のとおり、被告の取締役のうち、実際に会社経営に関与していたのは、和雄とその後を任された彰だけで、その他の者はいずれも名目上の取締役で会社経営に格別の利害も関心もなかったから、本来取締役会の決議を要する事項についても、従前は和雄が、その後は彰が単独で決定してきたもので、後記11のとおり、本件より前の新株発行についても、現実に取締役会が開催されたことはなく、和雄が単独で決定してきたものである(これが同族会社に多くみられる実態でもある。)。したがって、被告のような同族会社においては、現実に会社経営の実権を掌握する者の判断を実質取締役会の決議に代わるものと位置づけたとしても、これをあながち不当ということはできない。そうすると、本件新株発行は、後記3ないし5のとおり、当時すでに被告の会社経営の実権を握っていた彰が、代表取締役である和雄から包括的な授権を受けて行ったものであり、仮に、そうでないとしても、後記6ないし8のとおり、和雄が事前承認又は事後の黙示的追認をしていると認めるのが相当であるから、形式的に取締役会の決議がないことをもって著しい瑕疵があるということはできない(これをもし著しい瑕疵であるとすると、本件に先立つ新株発行はすべて不存在ということになり、何時でも誰でも、その効力を否定することができることになるが、このような結論は到底容認できるものではない。)。

1  被告は、昭和二五年一一月二一日に和雄が設立した典型的な同族会社である(争いがない。)。丙一の一ないし一二によれば、本件新株発行当時の被告の取締役は、和雄、彰、洋子、佐藤累二であり、監査役には三木昭信、その後任に日下が就任しているが、佐藤は洋子の実父、三木は和雄の妻貞子の甥である(甲三四、証人洋子)。そして、この中で実際に被告の経営に関わっていたのは和雄と彰であり、その他の者はいずれも名目上のものにすぎなかった(証人陽子)。

2  和雄は、長男である彰を会社後継者として属目し、中学生の頃から被告の仕事を手伝わせ、彰がまだ大学生であった昭和四二年一月一五日に取締役に就任させ、同年四月一日、同人が大学を卒業するのと同時に被告会社に入社させた(丙―の二、証人陽子、被告代表者彰)。さらに、彰は、昭和四五年一一月六日、陽子と結婚したが、陽子はこれを機に教職を辞し、被告の関連会社である親和化成有限会社に勤務し、昭和四九年八月頃からは、被告会社にも勤務するようになった(丙二の二、証人陽子、被告代表者彰)

3  和雄は、昭和五四年七月頃親和化成を事実上閉鎖したことにより、会社の事業を強力に推進しなければならないと考えていたところ、彰の尽力により、昭和五六年頃から、川田工業株式会社という東証一部上場の大手鉄工メーカーと取引を始めることになり、同社との取引は昭和五九年度では六〇〇万円であったのが平成五年には二億七〇〇〇万円にまで伸び、被告会社の事業は順調に展開して行った(丙一二の一ないし一〇、被告代表者彰)。そこで、和雄も、この頃(昭和五六年頃)から、被告会社の経営権を彰に任せることを容認するようになり、次第に会社への出勤も午前中だけで後は彰に任せるということが多くなり、親和化成が昭和五九年九月一日解散した際には、和雄は、同社の清算を彰に任せるまでになった(丙八、被告代表者彰)。

4  被告は、敷地の一部が道路用地に買収されたことから、昭和六〇年四月一日、会社を蔵本元町から国府町に移転したが、これ以後、和雄は、一週間に二、三回、それも午前中のわずかの時間だけ出社し、会社の経常は事実上彰及び陽子に任せきりにするようになり、その頃、顧問であった立川司法書士にも、本店が国府町に移り、ますます事業が拡大し、彰が跡を継いでくれることを喜んでいるという趣旨の自慢話をしている(丙四の四、証人立川、同陽子、被告代表者彰)。また、昭和六〇年四月頃、和雄は、彰を代表者とするゴム印を作って彰に渡したが、彰は、すでに会社経営は彰が中心となってやっていたし早急に代表者を変えなくてもよいと考え、敢えて代表者変更の手続まで取ることはしなかった(丙一六の一、二、三一の一、証人陽子、被告代表者彰)。

5  和雄は、昭和六三年一月三一日から同年四月三日まで中央病院に入院し腸の手術を受けたが、手術前日の同年二月一五日、彰及び陽子を呼び、「わしはひょっとしたらもうあかんかもしれん。」「お前らが会社をやっていけよ。会社を潰したら皆が路頭に迷うぞ。しっかり頑張れよ。」と明確に言い渡した(丙一七、証人陽子、平成九年一月二〇日付被告代表者彰本人調書一二項)。そして、退院後、和雄は会社に年に数回立ち寄るだけで、ほとんど会社業務に関与しなくなった(証人陽子、亡原告和雄)。

6  和雄は、昭和六〇年頃、彰に対し、「株式会社は二〇〇〇万円やから増資せないかん。金がないなら貸してやる。」と増資を勧めていた(平成六年五月三〇日付鎌田陽子本人調書八項)が、彰はまだ時期尚早であるとして実行しないでいたところ、平成元年になって増資をする同業者が増え、特に平成元年六月一〇日付の新聞で同業者のアルス製作所が増資したことを知った和雄が、増資を勧めたため、彰は、この勧めを入れて平成元年八月三〇日に彰を二万五〇〇〇株、陽子を五〇〇〇株とする増資を実行し、さらに、平成二年一一月八日には、彰を五万株、陽子を二万株とする増資を実行した(丙四四、証人陽子、被告代表者彰)。

7  和雄は、会社経営の実権がすでに彰に移っているのにいつまでも被告の代表者名義が自分のままでは余りに実体に反すると考え、彰を代表者とするゴム印を作り、平成三年一〇月二八日付で彰を代表者にする手続を自ら行ったが、その手続終了後に立川司法書士から受け取った役員変更に関する資料の中に、本件新株発行がなされていることを示す商業登記簿謄本(丙四の四)が含まれていたにも拘わらず、特にこれについて異議を述べなかった(甲一五、丙四の一ないし四、三一の二、証人陽子、被告代表者彰)。

8  なお、和雄は、本件新株発行の事実を、これよりも前の本件新株発行手続終了後間もない頃に、本件新株払込金の取扱銀行で和雄と個人的な取引もあった四国銀行徳島西支店の久保守支店長から、増資に対するお札を言われて知ったと認められるが(丙四八)、そうでないとしても、毎年送付されて来る徳島商工会議所からの現況調査表(丙二八号は平成四年の分である。)に記載されている資本金の欄を見ることによって知ったと推認することができるにも拘わらず、彰に異議を述べたことはなかった。

9  ところが、和雄は、平成四年六月頃になり、突然、彰に対し、勝手に本件新株発行がなされているとして異議を申し立てることになったが、これは、その直前の平成四年五月二四日頃に、彰夫婦が、それまで同居していた和雄宅の前の土地に新居を構えて別居したいという話を持ち出したことで、和雄の機嫌を損ねたためではないかと考えられる。なお、彰がこのように考えるようになったのは、和雄の妻貞子が昭和五八年に死亡してから、彰の姉洋子が昼間の四時間だけ和雄の面倒を見に来るようになったが、その際陽子や子供達の悪口を流布し、これを真に受けた和雄まで陽子を批判し始め、彰の子供達にも影響が出始めたため、隣に居を構えようと考えたものである(証人陽子、被告代表者彰)。なお、このような家庭内の行き違いが本件訴えを提起する動機になっていることは、和雄の供述からも窺える。

10  和雄が本件新株発行の事実を知った時期について、原告らは、平成四年一月頃であると主張しているが、和雄は、平成三年八月に徳島県から甲一七の一、二の通知が来て、四国銀行の徳島西支店に借金の確認に行った時初めてて知ったと供述している。このように原告側でもその時期について一致した認識がないのみならず、同司法書士の証言によると、和雄が立川司法書士のところに赴いて説明を求めた時期が平成四年六月頃であったというのであるから(証人立川)、これとかけ離れた平成三年八月とか平成四年一月に知ったとは考えにくい。原告らの主張するとおり、和雄が本件新株発行の事実を知り、これに立腹して本件訴訟にまで及んだというのであれば、知ってすぐ立川司法書士のところに確認を入れるのが自然だからである。

11  本件新株発行に際し、取締役会議事録が作成されているが(丙五の一、六の一)、実際に取締役会が開かれたという事実はない(争いがない。)。しかしながら、被告会社では、それまでにも新株発行が繰り返されてきたが、これは和雄が単独で行ったもので、取締役会議事録が作成されているが、実際に取締役会、株主総会を開催したことはない(丙一八ないし二三、二四の一、二、三〇、証人陽子、被告代表者彰)。

四  以上のとおり、本件新株発行が不存在ということはできないから、原告らの請求は理由がない。ただ、被告会社の株式の持つ経済的価値を考えれば、原告らが指摘するように(前記第二、三、1、〈4〉、〈7〉)、本件新株が従前の平等割当の例に反して和雄に全く割り当てられていないことに問題がないわけではない。しかし、その反面、被告の会社経営の面を考えると、和雄の相続の結果これまで会社経営に関与してこなかった相続人株主が現れ、会社経営が不安定になる恐れもあり、彰が供述するように(第一九回口頭弁論調書中の被告代表者彰本人調書二七項)、和雄がこれを心配して彰と陽子のみに新株引受を勧めたというのも理解できないではない。本件は、このように株式の経済的価値と会社経営上の価値の対立も背景にあると考えられるので、当事者間で合理的な解決がなされることが望ましい。

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